「ちゃんと」生きよう
今まで読んだ本の中で「歴史」本の比率は高くなく30%以下ではないだろうか。
意識して読んでいたわけではないが、昨年辺りからその比率が高まってきた。
常人と比較すると遅すぎるが、
やっと理解できる歳になったということだろう。
昨年2011年10月から中日新聞で「最後の証言」という特集で、
「戦艦大和の遺言」「草薙隊哀史」につづき「絶望の凍土」が連載されている。
「証言」と言うことで、
我々が想像すらできない体験をされた方々の「証言」を基に書かれている。
昭和30年代に生まれ、日本が成長を続けた中で育ってきた者にとって、
遠い昔の話と無意識に感じていたが、
我々にとって幸運なことに存命の方の「証言」を目にして、
遠い昔ではないことと理解した。
存命の方が多く存在するということは、
当時いかに若くして出征されたかということも言えるのだろう。
卒業、入学の季節。
司馬遼太郎さんのエッセイの中の「それでも、死はやってくる」に
司馬さんの体験が書かれている。
【「ああ、もう卒業だよ、なア・・・・・・」
校庭の芝生に寝転んでいた私は、隣でサバみたいに伸びていたM氏に話しかけた。
「うん・・・・・・卒業ちゅうた所で、まア死の門みたいなもんやな」
太平洋戦争が始まって間もないころのことだ。学生にとって卒業というものは、
学生服を単に軍服に着替えるだけの、いわば、人生の門出どころか、卒業即入営、
しかも数ヶ月の訓練期間もそこそこに激戦地に送られ、程もなく同窓会名簿に黒線を
入れられるというまるで葬列への出発と同義語であった。】
【「国家というものは、国民の一人一人を五十年、その堵に安じさせるための福祉機関
ではなかったのか。戦いのための装置であり召集令を出すための機関であるなら、
おれは日本に生まれたことが呪わしい」
と涙をにじませて語った男は、予備学生を志願し、特攻第一陣で死んだ。
悲痛なことはその屍に、彼の本質とは全くかけ離れた「愛国の華」という冠詞がつけ
られたことだ。】
私も来年50歳になる。
就職前は無茶をし、働いてからは判ったような気になり、正義を振り回し、
正当化したり、生き方を押し通し、生意気にも批判したり・・・・・・
50歳を前にして振り返ることが出来るようになっただけだが、
それでも少しは成長できているかと自分を慰める。
幕末や戦時下で生きた人々とは比べる土俵が違いすぎるが
「ちゃんと」生きなければ・・・・・・