『意志力革命─目的達成への行動プログラム』
ハイケ・ブルック+スマントラ・ゴシャール著 野田智義訳を読んだ。
『意志力革命』は経営者だけでなくマネジャーやスタッフ、
ビジネスに関わらず人生や個人の生活によい影響を与えるという感想を強く持った。
以下に『意志力革命』の内容を「はじめに」より引用させてもらう。
約2000年前にカリグラに追放され、ネロに自殺を強いられた執政官であり哲学者であった
ルキウス・アンナエウス・セネカは次のように書き残している。
我々は、大多数の人々が耽っている、このあまりのせわしなさを、何とか減らさなければならない。
彼らときたら、家や劇場や広場に群がっては、他人のことにおせっかいをする。そして常に、
何かに忙殺されているような印象を与えるのだ。家から出てきた人に、「どちらへ?何かご用でも?」
と尋ねてみたまえ。彼らはこう答えるだろう。「実際のところは自分にも分からないが、誰か人に会い、
何かするつもりだ」と。彼らは仕事を求めて当てもなくぶらぶらとし、あらかじめ意図していたことではなく、
たまたま出くわしたことを行うだけだ。彼らのぶらつきは怠惰でとりとめもない。
それはちょうどアリたちが灌木の上を這い回り、そこから無目的にてっぺんの枝まで這い上がり、
再び地面まで下りてくるようなものだ。多くの人々は、あたかもこの生き物のように人生を生きている。
この状況を「あくせくしながらも結果として何もしないこと(busy idleness)と称しても、
あながち不当ではないだろう。
本書で我々が真正面から取り組むのは、この「あくせくしながらも結果として何もしないこと」だ。
対象に取り上げるのは経営者やマネジャーだが、それは経営学が我々の学者としての専門分野であり、
また、我々がこのような人間行動の一面を研究してきたのが、
まさにこの経営職務という場面においてだからだ。
しかし本書の取り組む課題は、決して、経営という場面に限られるわけではない。
あくせくしながらも結果として何もしないことは、誰もがかかり、
人生のあらゆる側面にはびこる病気なのである。我々学者も、経営者とまったく同じように、
その病気にとりつかれてるのはもちろんだ。さらにすべての人間は、
職業人としての生活ばかりではなく私生活においてもこの病気に取りつかれているのである。
本書において我々は、この「あくせくしながらも結果として何もしないこと」を
「アクティブ・ノンアクション(多忙ではあるが目的を伴う意識的行動をとっていないこと)」と呼ぶが、
それは単に、セネカが懸念していたような沈着冷静さを保つ邪魔をするばかりではなく、
私たち人生そして私たち自身を最大限に活かすことも妨げる。
セネカは説いている。「だから、あなた方すべての活動を何らかの目標に向け、
目的をはっきりさせるようにしなさい」と。我々もこの本の中で、
この比較的自明ではあるが非常に重大な忠告を繰り返す。
我々は、人は目的意識を伴う行動をとることができると確信している。
実際に人がそのような行動をとるのを目撃してきた。
とはいえ、万事にそして常に目的を持って行動することなどできないのは明らかだ。
時には立ち止まってバラの香りを嗅ぐことも必要となろう。
しかし、あることについてある時に、目的を持って行動することは可能だ。そして、そのような時に、
そのような行動を通じて、人は思いがけなく人生そのものに目的を見出すものである。
私たちは目的意識を伴う行動をとることによってのみ、
自分の置かれた状況を変えることができるばかりではなく、
家族、地域社会、会社、そして世界の状況や進む方向に違いをもたらすことができるのである。